Wednesday, September 3, 2008

第3回 「中・高英語授業セルフ・チェック」髙橋 一幸(神奈川大学)

あなたの授業にこのような傾向は見られないだろうか? 自己点検から始めよう。自分の授業にいくらかでも次の授業のような傾向が見られる場合、また、幸いに自分の授業にはまったく当てはまらない場合でも、以下の授業は何が問題なのか、まずは読者ご自身で考えてみていただきたい。(筆者自身の分析は、本稿末に掲載しておくので、後ほどご確認いただきたい。)

[最近よく観る中学校の授業] 
-----------------------------------------------------
教師の与えるゲーム的な言語活動に、生徒たちは楽しそうに元気に参加している。教室は一見活気に満ちている。しかし、生徒に近づき、その発話に耳を傾けてみると、英語のリズムや発音になっていない。英語自体にも誤りが多く、通じない文も多々見られる。

[昔ながらの高等学校の授業]
-----------------------------------------------------
教科書の内容理解(表面的な訳読)と教師の文法説明主体の旧態依然とした授業である。ごく少数の指名された生徒は立ってテキストを音読するが、発音も平板なカタカナ読みで、意味の区切りも意識できていないようである。


 いかがであろうか? ここで少し立ち止まって、考えてみよう。
英語教師として、
・「私の理想とする英語授業とは?」
・「私の考える英語学力とは?」
・「生徒たちに育成したい態度とは?」

<中・高英語授業セルフ・チェック―筆者の分析>

[最近よく観る中学校の授業]
 -----------------------------------------------------
 活動に参加したことのrewardがなく、生徒に何ら変容が見られない。時間数不足もあろうが、生徒たちの興味を引く派手立つ活動に教師が目を奪われ、表現能力の基礎を作るドリルや音読・暗唱などの地道な練習活動(言語活動へのレディネス作り)が指導過程に欠落している。授業は遊びではない。楽しいだけでは授業にあらず。また、内容的もやりがいがあり、力がついているということを実感できる活動でないと、表面的楽しさだけでは生徒の興味・関心も長くは維持できないだろう。
[昔ながらの高等学校の授業]
-----------------------------------------------------
 授業に具体的到達目標が見えない。生徒は怪しげな日本語訳はしているが本当に内容を理解しているかも極めて疑わしい。教師の延々たる説明に興味を示して耳を傾け理解できている生徒は少なそうだが、仮に理解できたとしても実践的な表現力や運用力には結びつくはずもない。生徒の表現能力や運用能力は、「表現する場、運用する場自体がまったく与えられていない」ので不明だが、授業でまったく育っていないことは断言できる。生徒は教わっていないこと、訓練していないことはできないものだから。生徒の学力は授業を映す鏡である。

No comments: