■はじめに
前回の通信では、日本の教師に対するpre-service trainingが不十分なので、初任者研修では、(1)
授業改善が教師の一番の仕事であること、(2) そのためには、協働的な「振り返り」で誤ったpersonal theory
からの脱却を図ること、また、(3)
クラス・コントロールも、授業の目標と結びつけることを重視すべきだと指摘しました。今回は10年研修を取り上げて考えてみたいと思います。
■基本的な考え方
授業をするには、生徒の実態やニーズを知らなければなりません。それと同様に、10年の経験がある教師を対象にした研修を計画するには、経験者の特徴を知らなければなりません。また、研修目標も、新任研修と10年経験者研修とでは、当然、異なるはずです。受講者の実態の差、また、期待の差が、研修計画に反映してくるのは当然です。
たとえば、同じ授業改善を図るにしても、初任者のように直接アドバイスを与えても、聞き入れてはくれないでしょう。経験者はすでに独自の授業観を持っているので、その認識を変えなければ授業は変わりません。認識を変えるには、まず、認識に気付かせ、変革の必要性を実感させた上で、解決方法を自ら探し、実践で改善策を試させることが大切です。また、授業改善も自分一人の作業と捕らえるのではなく、学校や地域の同僚に働きかけて協働で取り組む姿勢と技量を育てることも必要です。
それを可能にするには、研修を計画する側に、受講者と一緒に研修カリキュラムを創造するという姿勢が欲しいものです。受講者が扱って欲しいと思っているテーマを事前に調査し、それを土台に計画することが理想ですが、実際上は難しいでしょう。そこで、「経験者の学習の特徴」を生かして計画し、実施しながら観察し、また、事後に感想や意見などを聞いて次年度に生かします。いわば、研修計画のアクション・リサーチを受講者と一緒に進めるのです。ですから、まず、「経験者の学習の特徴」をまとめておきます。
■経験者の学習の特徴
Jon Roberts(1998.Language Teacher Education. Arnold)の説を参考に、自説を加えながら、研修計画の作成の際の留意点を説明します。
(1) 自分で決めたことなら学習するが、外から押し付けられたと感ずると、いこじになって拒絶する。従って、プログラムも有無を言わせず提示するのではなく、変更の可能性を残すほうが効果的である。可能なら希望に応じて変更し、受講者に共同責任を持たせる。
(2) 一般的にはベテラン教師は、経験と知識があり指導力が高い。反面、化石化を起こし、熱意をなくしている人もいる。友好的な雰囲気の中で経験や情報を交換しあうことは、知識の交流だけでなく、相互理解や同僚意識を高め、両者に意義のある活動となる。
(3) 自分の仕事に必要で、役立つ情報だと学習する。多くのベテラン教師は自分を変える必要性を感じながら、方向性が見出せないでいる。逆に言えば、小さな成功体験で情報の有効性を実感するきっかけさえあれば、改善に取り組むことが期待できる。
(4) 経験だけでは不十分で、理論的な支柱が欲しいと感じている教師は多い。だが、また、理論と現実の乖離も感じている。とすれば、たとえば言語習得の理論から授業の構成を考え、そこから自分の授業案を作成する研修が効果的だということになる。
(5) 逆に、個々の問題解決が試行錯誤の産物に終わらぬように、一般化をめざすことも必要である。「現場から理論を生みだそう!」と強調することも大切である。
■効果的な研修の枠組み
こうした「経験者の特徴」を生かさない研修は、効果が上がりません。たとえば、トピックが外から押し付けで、自分たちのニーズに対応していないと感じたり、また、学習しても教室での実践が難しく、プラスにならないと思ったりする場合です。さらには、研修の方向性が明確でないと、無駄な労力を使わされると思ってしまいます。逆に言うと、受講者が「意味のある研修」だと感ずるには、次ぎの要素が必要です。
(1) 研修目標が明確で、それぞれのプログラムが目標を反映した全体的な枠組みに位置づけされている。特に、集合研修と学校での自己研修の関連づけが明確である。
(2) 自己研修では、授業の「振り返り」で授業の進め方や生徒理解に関して問題意識を高めておいて、集合研修では同僚との意見交換や講義で、自分のpersonal
theory や生徒との関係などを見直し、解決策を探るための話し合いの機会が多くある。
(3) 集合研修での演習や講義は、一方的に情報を受けるだけでなく、モデル授業を協働で組み立てるなどする中で、同僚との仲間意識を高め、協働して問題解決を図る機会となるように計画する。
(4) 集合研修で醸成された仲間意識が研修後も持続するよう、教育センターが支援して、狭い地域での授業研究や協働的なアクション・リサーチの勉強会を計画する。
■まとめ
この稿をまとめると、経験者の研修では、「教え込む」姿勢は極力控え、意味のある研修を計画し、協働でプログラムを進めるとともに、最終的には新しい研修を創造するという姿勢で臨むことが望ましいということです。そのひとつの試みとしては、アクション・リサーチを研修の中核と位置づけ、学校での個人研修では、いつまでに何をするかスケジュールを示し、ハンドアウトで活動内容を提案します。一方、集合研修では、個人研修の報告と今後のリサーチの計画を協働で立案させ、必要な情報や支援を与えます。集合研修後は、学校や地域で授業や実践を公開しあい、ARの成果をレポートにして共有財産とすると同時に、結論の理論化や一般化の方向性も探ります。
Friday, October 30, 2009
Sunday, October 4, 2009
AR支援ネットワーク通信(3)「初任者研修とAR」
松山大学 佐野正之
■はじめに
前回の「通信」では、personal theory から自由になって授業改善に取り組むためには、授業しながら授業をリサーチする(原因と結果を考えながら、物事を論理的に追求すること)姿勢を育てることが大切だと述べました。このことは、特に、初任者研修に当てはまります。というのは、自分の思い込みで間違った授業をしているのに、注意されずに野放しにされると、課題が化石化して、生徒から英語を学ぶ楽しさを奪い続けることになるからです。あるいは、内心の不安を隠すために、授業公開を極端に嫌う教師になってしまうかもしれません。いずれにしても、早めの手当てが必要です。こうした危険が顕在化しているのは、日本の教員養成に一因があります。それは、フィンランドや英国の教員養成と比較すると一目瞭然です。英国の例を紹介しましょう。
■英国の教員養成
英国では教員養成は大学院レベルで行われるのが普通です。しかも、在学期間の3分の2は複数の実習校での研修に当てるように法律で定められていて、そこでは、ベテラン教師の授業観察はもちろん、マイクロ・ティーチングでの指導技術の向上や、段階をおった実習など、細かな計画が大学と実習校の緊密な連携でなされています。特に、授業実践のあとでは、メンター(教育実習生の指導にあたるベテラン教師で、他の校務は一切免除されている)と大学の指導教官による個人指導が徹底的に行われ、ポートフォリオやアクション・リサーチで自分のpersonal theory を見直し、実践的な知識や技量を磨く機会がふんだんに与えられるのです。さらに、教員の資格は国家資格ですから、教科の知識や技量だけでなく、クラス・マネジメントから動機付けの方法や評価、はては、同僚や保護者との対応まで国で定めたレベルに達しているかが調査され、その上で免許状が出されるのです。2週間や3週間の教育実習でお茶を濁す日本とは大違いです。
もちろん、日本でも初任者の指導に当たるベテラン教師はいるのですが、その先生自身が自分の仕事で手一杯な現状では、多くのことは期待できません。そうなると、教育センターでの初任者研修が重要です。プロの英語教師として、自立して成長してゆくためには、教育センターの働きかけが求められているのです。実際の研修内容は多岐に渡るので、ここでは授業改善(=personal theory からの脱却)と、クラス・マネジメントについてだけ説明します。この2つが日本型の教員養成では、最も身につかない能力だからです。
■授業改善:Personal theory からの脱却
(1) 実態報告と意見交換。
教室でのsurvivalに不安を感じている人は、personal
theoryからの脱却も、その後の成長も望めません。そこで、まず、初任者同士で悩みを交換させ、悩んでいるのは自分だけではないことに気づかせます。大学で習った教授法が通用しないとか、英文和訳でさえもうまくいかないとか、悩みは雑多でしょう。そこで、教案を示しながら、どのように教え、どこで問題が生じたか実態を報告させます。そのとき、指導主事は善悪の判断をせずに悩みを聞いてやり、仲間の実践や話し合いから解決方法を自分で見つけるように励まします。そこでの気付きや、その後の実践をポートフォリオに記録させ、また、自分の英語学習歴も書かせて、personal
theory との関連を考察させ、発表させます。
(2)理論は実践と結びつけて
指導要領や評価についての講義は必要なインプットです。ただ、それが生きて働く力となるには、理論と実践を結びつける道筋を示してやることが必要です。たとえば、他の初任者と協働で、評価の理論と教材とを結び付けた指導案を作り、モデル授業で練習させ、授業改善に繋がるかを話し合わせます。その上で実際の教室で試し、生徒の行動や自分の認識にどのような変化を生んだか、ポートフォリオに記録させます。結局、理論は単なる知識ではなく、実践と結びつけて利用するもので、教師は常に新しい情報を利用し、自分の指導力を向上させる責任があるのだという意識を育てます。
(3) 観察やビデオによる授業研究
ベテラン教師の授業観察や、ビデオでの授業研究もpersonal
theoryからの脱却に役立つインプットです。複数のモデルを見せ、話しあいの時間をとります。ひとつに偏ると、表面の物まねに終わるからです。また、自分の授業をビデオで紹介するときは、初期は撮る箇所を限定し、指導力の伸びに応じて撮る時間を延ばしてゆき、最後に授業の全体像が完成するようにします。この点は、アクション・リサーチとも関連するので後述します。
■クラス・マネジメント
(1)授業とクラス・マネジメント
クラス・マネジメントというと、生徒を押さえつけるテクニークと誤解されがちですが、実は、より「分かる」「楽しい」「力のつく」授業にするために、生徒をどのように授業に参加させてゆくか、そのための方策を捜すことなのです。ですから、授業の目標を明確にし、生徒とshare
することが第一歩です。次ぎに、その目標や時間に応じて、全体学習、グループ学習、個人学習などの形態を適切に組み合わせて使用するのです。そのそれぞれに指導上の留意点があることに気付かせ、習得させます。
(2)教室のムード作り
効果的な授業には、教室に前向きな雰囲気があることが必要です。しかし、それは当初から用意されているわけではありません。生徒との相互理解を深めるなかで、ということは、教師もまた、英語にかける思いや、自分が生徒だったころの英語学習などを積極的に話してやり、英語や自分に関心を持ってもらうように努力する中で、次第に育成していくものなのです。生徒に迎合したり、逆に、教師の権威を振り回したりせずに、友好的でかつ責任のある態度を持って接することが大切です。特に、孤立している子には、まず、教師が知り合おうとする姿勢を示し、それがクラス全体に広がることを期待します。
■まとめ
指導法の改善とクラス・コントロールは一体だということがお分かりいただいたと思います。一度に完璧な授業は期待せずに、ワンステップずつ、着実に力を伸ばしていけるように、見守っていきたいものです。
第1期の6月末までは、指導法については挨拶、復習、導入までに改善のポイントを絞り、コントロールに関しては、生徒の名前を覚え、個人的な対話を増やしてクラスに明るい雰囲気を作るという目標を指定し、それまでの取り組みをポートフォリオに記入し、全体講習の場で発表します。また、各学校の指導教員にも期ごとの目標を通知し、その点に集中して指導してもらうようにします。第2期には、第1期で達成できなかった点も含めて、教科書本文の指導と言語項目の定着を改善のポイントにし、コントロールでは、いろいろな学習形態を取り入れ変化をつけることを目標にします。第3期では、まとめの言語活動と評価、自己表現活動への積極的な参加などを改善の目標に設定することが考えられます。
このようにして、一通り指導法やコントロールの方法が習得できた段階で、今度は授業全体をビデオに撮り、問題点を自分で発見し、それに対する対策を講じて実践するミニ・アクション・リサーチを実施します。その結果を発表すると同時に、自分の英語指導に対する考え方が4月からどう変化したかを記録させて、次年度の目標と具体的な方策をレポートさせて初任研修を終わります。
■はじめに
前回の「通信」では、personal theory から自由になって授業改善に取り組むためには、授業しながら授業をリサーチする(原因と結果を考えながら、物事を論理的に追求すること)姿勢を育てることが大切だと述べました。このことは、特に、初任者研修に当てはまります。というのは、自分の思い込みで間違った授業をしているのに、注意されずに野放しにされると、課題が化石化して、生徒から英語を学ぶ楽しさを奪い続けることになるからです。あるいは、内心の不安を隠すために、授業公開を極端に嫌う教師になってしまうかもしれません。いずれにしても、早めの手当てが必要です。こうした危険が顕在化しているのは、日本の教員養成に一因があります。それは、フィンランドや英国の教員養成と比較すると一目瞭然です。英国の例を紹介しましょう。
■英国の教員養成
英国では教員養成は大学院レベルで行われるのが普通です。しかも、在学期間の3分の2は複数の実習校での研修に当てるように法律で定められていて、そこでは、ベテラン教師の授業観察はもちろん、マイクロ・ティーチングでの指導技術の向上や、段階をおった実習など、細かな計画が大学と実習校の緊密な連携でなされています。特に、授業実践のあとでは、メンター(教育実習生の指導にあたるベテラン教師で、他の校務は一切免除されている)と大学の指導教官による個人指導が徹底的に行われ、ポートフォリオやアクション・リサーチで自分のpersonal theory を見直し、実践的な知識や技量を磨く機会がふんだんに与えられるのです。さらに、教員の資格は国家資格ですから、教科の知識や技量だけでなく、クラス・マネジメントから動機付けの方法や評価、はては、同僚や保護者との対応まで国で定めたレベルに達しているかが調査され、その上で免許状が出されるのです。2週間や3週間の教育実習でお茶を濁す日本とは大違いです。
もちろん、日本でも初任者の指導に当たるベテラン教師はいるのですが、その先生自身が自分の仕事で手一杯な現状では、多くのことは期待できません。そうなると、教育センターでの初任者研修が重要です。プロの英語教師として、自立して成長してゆくためには、教育センターの働きかけが求められているのです。実際の研修内容は多岐に渡るので、ここでは授業改善(=personal theory からの脱却)と、クラス・マネジメントについてだけ説明します。この2つが日本型の教員養成では、最も身につかない能力だからです。
■授業改善:Personal theory からの脱却
(1) 実態報告と意見交換。
教室でのsurvivalに不安を感じている人は、personal
theoryからの脱却も、その後の成長も望めません。そこで、まず、初任者同士で悩みを交換させ、悩んでいるのは自分だけではないことに気づかせます。大学で習った教授法が通用しないとか、英文和訳でさえもうまくいかないとか、悩みは雑多でしょう。そこで、教案を示しながら、どのように教え、どこで問題が生じたか実態を報告させます。そのとき、指導主事は善悪の判断をせずに悩みを聞いてやり、仲間の実践や話し合いから解決方法を自分で見つけるように励まします。そこでの気付きや、その後の実践をポートフォリオに記録させ、また、自分の英語学習歴も書かせて、personal
theory との関連を考察させ、発表させます。
(2)理論は実践と結びつけて
指導要領や評価についての講義は必要なインプットです。ただ、それが生きて働く力となるには、理論と実践を結びつける道筋を示してやることが必要です。たとえば、他の初任者と協働で、評価の理論と教材とを結び付けた指導案を作り、モデル授業で練習させ、授業改善に繋がるかを話し合わせます。その上で実際の教室で試し、生徒の行動や自分の認識にどのような変化を生んだか、ポートフォリオに記録させます。結局、理論は単なる知識ではなく、実践と結びつけて利用するもので、教師は常に新しい情報を利用し、自分の指導力を向上させる責任があるのだという意識を育てます。
(3) 観察やビデオによる授業研究
ベテラン教師の授業観察や、ビデオでの授業研究もpersonal
theoryからの脱却に役立つインプットです。複数のモデルを見せ、話しあいの時間をとります。ひとつに偏ると、表面の物まねに終わるからです。また、自分の授業をビデオで紹介するときは、初期は撮る箇所を限定し、指導力の伸びに応じて撮る時間を延ばしてゆき、最後に授業の全体像が完成するようにします。この点は、アクション・リサーチとも関連するので後述します。
■クラス・マネジメント
(1)授業とクラス・マネジメント
クラス・マネジメントというと、生徒を押さえつけるテクニークと誤解されがちですが、実は、より「分かる」「楽しい」「力のつく」授業にするために、生徒をどのように授業に参加させてゆくか、そのための方策を捜すことなのです。ですから、授業の目標を明確にし、生徒とshare
することが第一歩です。次ぎに、その目標や時間に応じて、全体学習、グループ学習、個人学習などの形態を適切に組み合わせて使用するのです。そのそれぞれに指導上の留意点があることに気付かせ、習得させます。
(2)教室のムード作り
効果的な授業には、教室に前向きな雰囲気があることが必要です。しかし、それは当初から用意されているわけではありません。生徒との相互理解を深めるなかで、ということは、教師もまた、英語にかける思いや、自分が生徒だったころの英語学習などを積極的に話してやり、英語や自分に関心を持ってもらうように努力する中で、次第に育成していくものなのです。生徒に迎合したり、逆に、教師の権威を振り回したりせずに、友好的でかつ責任のある態度を持って接することが大切です。特に、孤立している子には、まず、教師が知り合おうとする姿勢を示し、それがクラス全体に広がることを期待します。
■まとめ
指導法の改善とクラス・コントロールは一体だということがお分かりいただいたと思います。一度に完璧な授業は期待せずに、ワンステップずつ、着実に力を伸ばしていけるように、見守っていきたいものです。
第1期の6月末までは、指導法については挨拶、復習、導入までに改善のポイントを絞り、コントロールに関しては、生徒の名前を覚え、個人的な対話を増やしてクラスに明るい雰囲気を作るという目標を指定し、それまでの取り組みをポートフォリオに記入し、全体講習の場で発表します。また、各学校の指導教員にも期ごとの目標を通知し、その点に集中して指導してもらうようにします。第2期には、第1期で達成できなかった点も含めて、教科書本文の指導と言語項目の定着を改善のポイントにし、コントロールでは、いろいろな学習形態を取り入れ変化をつけることを目標にします。第3期では、まとめの言語活動と評価、自己表現活動への積極的な参加などを改善の目標に設定することが考えられます。
このようにして、一通り指導法やコントロールの方法が習得できた段階で、今度は授業全体をビデオに撮り、問題点を自分で発見し、それに対する対策を講じて実践するミニ・アクション・リサーチを実施します。その結果を発表すると同時に、自分の英語指導に対する考え方が4月からどう変化したかを記録させて、次年度の目標と具体的な方策をレポートさせて初任研修を終わります。
AR支援ネットワーク通信(2)「Personal theory からの脱却」
松山大学 佐野正之
■はじめに
前回の通信(1)では,教師が授業に責任を持って自主的に授業改善を目指すためには、
「リサーチのownership」を感じながら研修に向かうことが大切で、ARもそのための有力な手段だと説明しました。それでは、ARを取り入れさえすれば、万事がうまくいくでしょうか。決してそういうわけではありません。まず、「授業をきちんとするには、リサーチ(=原因と結果の関係を深く考え、論理的に追求する)が必要だ」という認識がなければなりません。ところが、これは決して容易なことではありません。なぜなら、それは自分の信じ込んできたpersonal
theory を捨てることにつながりかねないからです。Personal theory
が全部いけないというわけではないのですが、時代遅れになったり、誤って理解していることがあるので、それを見直すことが必要なのです。
■Personal theory とは
人それぞれに、personal theory(自分なりの指導法についての考え方)を持っています。Theoryとは何でしょうか。「OO教授法」という場合、その教授法に特有な「言語観」「学習観」「指導観」があります。たとえば、Audio-lingual Approachでは、「言語観」は表に現れた言語の組み立てを重視し、「学習観」は組み立ての基礎から繰り返しの練習で身につけさせ、「指導観」は、習慣形成を外部からリードするという発想があります。それらが結び合ってひとつの教授法になっているのです。一般の教員は、自分の教授法を詳しくは意識していません。ところが、無意識のうちに、「英語の基礎は文法だ」という言語観や、「文法習得にはドリルが大切」という学習観や、「教師の仕事は文法を分かるように説明することだ」という指導観を身につけているのです。これがpersonal theory です。
では、このpersonal theoryはどこからきたのでしょうか。多くの場合、それは英語の知識と一緒に身につけたものなのです。中学や高校で英語を学習したときに、気づかぬうちに、英語の指導法までも習っていたのです。これは無意識的ですが、隠れたところで強力に作用していて、「これこそ、最も自然な、正しい指導法だ」と信じ込ませてしまいます。ですから、文法・訳読式で教えられた人は、途中でよほどの出来事があって改信(文字どうり、宗教=信じてきた価値観を変えることを)しない限り、コミュニケーション中心の授業は不自然で、無理な指導法に思えてしまいます。これは英語力には関係ありません。いかに英語が達者でも、personal
theory に支配されている限り、その人の授業は相変わらず、英文和訳を中心に進むことになるのです。ですから、自分のpersonal theory を意識的に捕らえ直し、もし、それが現在の英語教育の目標に照らして適切でなければ、personal theory から脱却し、客観的に「自分の授業をリサーチすること」ができる教員を育てることが、教員研修の重要な目標になるのです。
■講義だけでは不足なわけ
Personal theoryからの脱却は、何もARをしなくとも、講義を聴いて自分の思い込みの誤りに気づけば、それでよいという反論があるでしょう。しかし、考えてもみてください。あなたは喫煙の害を説かれただけで、タバコがやめられますか。メタボの危険性を告げられたら、すぐに晩酌がやめられますか。やめられる人もいるでしょう。特に、自分でうすうす健康に不安を感じていた人には、これが引き金になって改善へと進むことはあると思います。しかし、大部分の人は、知識は与えられても、それを自分に都合よく解釈して、結局はこれまでの悪習を断ち切れないのです。たとえば、メタボの危険性を指摘されて久しい私は、「確かにメタボは悪い。でも、医師の話しでは、ストレスもまた、メタボ以上に健康の害になるということであった。だったら、ストレス解消のための酒はless
evilだ。飲みすぎはよくはない。でも、どれくらいが飲みすぎかは個人差がある」と手前勝手の解釈をして、これまでと変わらぬ生活を送るはめになります。
同じことが、優れた授業実践を見たときにも起こります。「生徒が優秀で、やる気があるからできたことで、自分のクラスでは無理だ」と自分の都合のよいように解釈してしまうのです。講義にしても、モデル授業にしても、そこに受講者の問題意識との関わりがなければ、「馬の耳に念仏」で終わります。これを防ぐには、事前に自分の授業を振り返って問題意識を持たせてからインプットを与え、具体的には、多様な形のモデル授業を見せ、それぞれの背後にある発想や、自分の実践に生かせそうな箇所を選ばせ、実施した場合に期待される効果や問題点などについて徹底的に同僚と話し合わせることによって、自分の偏向に気づかせると同時に、解決の糸口を探らせることが大切です。
■まとめ
「リサーチのownership」という視点からすれば、ポートフォリオもまた役立ちます。授業の問題点について、先輩教師と話しあうことで自分の偏向に気づき、実践の過程で生徒の変化だけでなく、自分の変化も記録していくことによって、personal theory からの脱却が可能です。しかし、メンターからの支援が恒常的に得られない状態では、「振り返り」だけでは周囲が見えなくなり、社会との関わりを見失いがちです。適切なアドバイスが期待できない場合は、生徒の力も借りながら自分で対策や実践の評価ができるARのほうが実際的です。このような考えから、次回は、初年者研修と10年次研修を取り上げ、それぞれにアクション・リサーチをどのように位置づけるかを説明します。
■はじめに
前回の通信(1)では,教師が授業に責任を持って自主的に授業改善を目指すためには、
「リサーチのownership」を感じながら研修に向かうことが大切で、ARもそのための有力な手段だと説明しました。それでは、ARを取り入れさえすれば、万事がうまくいくでしょうか。決してそういうわけではありません。まず、「授業をきちんとするには、リサーチ(=原因と結果の関係を深く考え、論理的に追求する)が必要だ」という認識がなければなりません。ところが、これは決して容易なことではありません。なぜなら、それは自分の信じ込んできたpersonal
theory を捨てることにつながりかねないからです。Personal theory
が全部いけないというわけではないのですが、時代遅れになったり、誤って理解していることがあるので、それを見直すことが必要なのです。
■Personal theory とは
人それぞれに、personal theory(自分なりの指導法についての考え方)を持っています。Theoryとは何でしょうか。「OO教授法」という場合、その教授法に特有な「言語観」「学習観」「指導観」があります。たとえば、Audio-lingual Approachでは、「言語観」は表に現れた言語の組み立てを重視し、「学習観」は組み立ての基礎から繰り返しの練習で身につけさせ、「指導観」は、習慣形成を外部からリードするという発想があります。それらが結び合ってひとつの教授法になっているのです。一般の教員は、自分の教授法を詳しくは意識していません。ところが、無意識のうちに、「英語の基礎は文法だ」という言語観や、「文法習得にはドリルが大切」という学習観や、「教師の仕事は文法を分かるように説明することだ」という指導観を身につけているのです。これがpersonal theory です。
では、このpersonal theoryはどこからきたのでしょうか。多くの場合、それは英語の知識と一緒に身につけたものなのです。中学や高校で英語を学習したときに、気づかぬうちに、英語の指導法までも習っていたのです。これは無意識的ですが、隠れたところで強力に作用していて、「これこそ、最も自然な、正しい指導法だ」と信じ込ませてしまいます。ですから、文法・訳読式で教えられた人は、途中でよほどの出来事があって改信(文字どうり、宗教=信じてきた価値観を変えることを)しない限り、コミュニケーション中心の授業は不自然で、無理な指導法に思えてしまいます。これは英語力には関係ありません。いかに英語が達者でも、personal
theory に支配されている限り、その人の授業は相変わらず、英文和訳を中心に進むことになるのです。ですから、自分のpersonal theory を意識的に捕らえ直し、もし、それが現在の英語教育の目標に照らして適切でなければ、personal theory から脱却し、客観的に「自分の授業をリサーチすること」ができる教員を育てることが、教員研修の重要な目標になるのです。
■講義だけでは不足なわけ
Personal theoryからの脱却は、何もARをしなくとも、講義を聴いて自分の思い込みの誤りに気づけば、それでよいという反論があるでしょう。しかし、考えてもみてください。あなたは喫煙の害を説かれただけで、タバコがやめられますか。メタボの危険性を告げられたら、すぐに晩酌がやめられますか。やめられる人もいるでしょう。特に、自分でうすうす健康に不安を感じていた人には、これが引き金になって改善へと進むことはあると思います。しかし、大部分の人は、知識は与えられても、それを自分に都合よく解釈して、結局はこれまでの悪習を断ち切れないのです。たとえば、メタボの危険性を指摘されて久しい私は、「確かにメタボは悪い。でも、医師の話しでは、ストレスもまた、メタボ以上に健康の害になるということであった。だったら、ストレス解消のための酒はless
evilだ。飲みすぎはよくはない。でも、どれくらいが飲みすぎかは個人差がある」と手前勝手の解釈をして、これまでと変わらぬ生活を送るはめになります。
同じことが、優れた授業実践を見たときにも起こります。「生徒が優秀で、やる気があるからできたことで、自分のクラスでは無理だ」と自分の都合のよいように解釈してしまうのです。講義にしても、モデル授業にしても、そこに受講者の問題意識との関わりがなければ、「馬の耳に念仏」で終わります。これを防ぐには、事前に自分の授業を振り返って問題意識を持たせてからインプットを与え、具体的には、多様な形のモデル授業を見せ、それぞれの背後にある発想や、自分の実践に生かせそうな箇所を選ばせ、実施した場合に期待される効果や問題点などについて徹底的に同僚と話し合わせることによって、自分の偏向に気づかせると同時に、解決の糸口を探らせることが大切です。
■まとめ
「リサーチのownership」という視点からすれば、ポートフォリオもまた役立ちます。授業の問題点について、先輩教師と話しあうことで自分の偏向に気づき、実践の過程で生徒の変化だけでなく、自分の変化も記録していくことによって、personal theory からの脱却が可能です。しかし、メンターからの支援が恒常的に得られない状態では、「振り返り」だけでは周囲が見えなくなり、社会との関わりを見失いがちです。適切なアドバイスが期待できない場合は、生徒の力も借りながら自分で対策や実践の評価ができるARのほうが実際的です。このような考えから、次回は、初年者研修と10年次研修を取り上げ、それぞれにアクション・リサーチをどのように位置づけるかを説明します。
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