Sunday, January 11, 2009

「謹賀新年と日本の英語教育」

松山大学  佐野正之

おめでとうございます

みなさま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
昨年の6月から通信を開始しましたので、丁度、半年が経過したことになります。通信が、アクション・リサーチの理解や実践に少しはお役にたったでしょうか。こちらとしては見えない相手に呼びかけているので、それなりに苦労もありますが、反面、アウトプットを期待するにはその何倍ものインプットが必要だと理解しておりますので、今年も私の考えや多くの情報を通信でお知らせしたいと思っています。そこから、よりインターアクティブな関係が構築されることを期待して、年頭の挨拶といたします。

初売りの福袋:「なぜ、アクション・リサーチなのか」
 さて、今年の初売りは、昨年11月29日の「アクション・リサーチ交流会」で私がした基調講演の紹介です。これは年頭の「福袋」ですから、当然、中身が多く、必ずしも、欲しいものだけ入っているとは限りません。ご了解のほどお願いいたします。

*これでよいのか日本の英語教育
最近読んだ論文(斎田.2008.JACET Journal.No.47)に興味深い調査結果が載っていました。日本の大学生の平均的な英語力を「ヨーロッパ共通参照枠」で検証すると、「文法力」や「語彙力」は辛うじてヨーロッパの高校生なみだが、「読む力」「書く力」は中学生なみ、「聞く力」に至っては小学生なみだというのです。なんとも厳しい結果ではありませんか。ただ、「聞く力」については、音声が聞きなれた米語ではなく英語だということ、また、機器の操作で、聞くことに集中できなかったなどの事実を勘案する必要はあるでしょうが。
また、被験者は一つの国立大学の学生なので、結果を一般化して「日本の大学生」として論ずるのは不適切だという批判も当然可能です。だが、この学生たちの平均的な語彙サイズが3,700語程度であり、しかもきれいな正規分布をしていることから、日本の大学生の一般的な英語力とみなして、大きな違いはなさそうです。とすると、日本の英語教育は、これでよいのかとあらためて考えさせられます。不振の理由はどこにあるのでしょうか?

*不振の理由
 理由は複合的ですが、まず、指摘すべきは、日本の英語授業は、本音では「受験のための英語」なので、「コミュニケーションのための英語力」は育たないのということです。受験のために暗記した知識は、受験が終われば賞味期間切れとなり、急速に失われます。だから、通常の英語授業を変えないかぎり、本当の英語力は伸びないのです。
 第2の理由としては、文部行政の貧困があります。中学の週3体制、非常識なクラス・サイズ、過重な雑務で疲弊する教師、進学競争のプレッシャー、小学校英語活動をめぐる迷走などなど、無責任な教育行政も不振の大きな理由です。
 第3の理由として、教員養成が挙げられるでしょう。およそ「プロ」を育てる体制ができておらず、必要な英語力、授業力、授業改善力を育ててから現場に送りだすというシステムがないまま、「免許状更新」など、まさに「割れ鍋に閉じ蓋」でしかありません。
 第4の、最も重要な理由は、政治の混迷です。将来のvisionがないまま、経済利益優先の自由化に突っ走り、それが社会的格差を生み、弱者切捨てにつながり、本来最優先すべき教育を軽視する風潮を増長し、結局は「学校bashing 」の原因となっているのです。この負の循環を断ち切るには、国民が、なかんずく教師が、未来への展望を持たなければなりません。その意味では、フィンランド教育は格好の鏡となります。

*フィンランド教育を鏡に
 私は「フィンランドは学力世界一」という言葉に酔っているわけではありません。この国が、日本の「不振の理由」を見事に映し出してくれるからです。まず、見習うべきは明確な国家的なvision です。フィンランドはアメリカ主導の「国際化」と一線を画し、「もうひとつの国際化」の旗手と自国を位置づけています。「もう一つの国際化」というのは、経済的利潤だけを優先するのではなく、人権、平等、文化、環境など人類共通の価値を守るという立場です。「国際化」に含まれる経済的競争と民主主義のどちらを優先するかと言い換えてもよいでしょう。日本はアメリカの尻馬に乗り、経済の自由競争と新保守主義の政策を進めてきました。フィンランドは国際的な競争力を維持しながらも、多文化と共存・協働する姿勢を国是とし、その原動力を教育に求めてきました。PISAの学力テストも、煎じ詰めれば、協働して国際問題を解決する地球市民の育成を目指したものなのです。

 ですから、フィンランドでは「教育だけが国を救う」という信念のもと、教育立国を目指し、いろいろな制度改革を実施してきました。すなわち、教育に関る費用は小学校から大学まで全額免除、入学試験や全国共通学力テストは廃止、少人数クラスの徹底、落ちこぼれのない教育、などなど、現場の裁量権を大幅に増やし、管理は必要最低限にしてきました。PISAの成績が良いのも、下位生徒の成績が他国と比してずば抜けて高いからです。この点については、福田誠治『競争やめたら学力世界一』(2006:朝日新聞)参照。

 フィンランドの教員養成のシステムも、また、優れています。もともと、高校生の憧れの職業No. 1 ということもあり、優秀な人材が教員を志望することに加えて、500 時間もの教育実習を計画的に課し、大学の講義と実習校のメンターの協力で、授業力、授業改善力を徹底的に鍛えるのです。また、修士号が条件なので、research-based teacher education が見事に実現し、アクション・リサーチは、その中核をなしています(Jakku-Sihvonen. R. 2008. Education as a Societal Contributor: Peter Lang. p 156-7)。

では、学校ではどのような指導法が用いられているのでしょうか。もともと、英語に対する興味が強い社会的環境や、小学校3年生から英語が必修だということもあり、高校の卒業生なら、英語で十分コミュニケーションできる能力が当然だとされています。授業はタスク中心で、考える、相互交渉する、発表する、書くことが重視されます。具体例は日本からの留学生が高校の英語授業でどのように変身したかを書いた手記(実川真由美『受けてみたフィンランド教育』2007:文芸春秋)を参照してください。 

このように見てくると、フィンランドは国家戦略に基づいて教育政策があり、それを実現するための教師養成が実施され、授業実践がなされていることが分かります。では、前提条件が全く異なる日本では、どうすればよいのでしょうか。

*アクション・リサーチは日本を救えるか
 では、私たちは何ができるのでしょうか。国の戦略や教育政策は、一教師の手に負えるものではありません。しかし、私たちにもできることがあります。それは、本来なら教員養成課程で身につけるべき授業力、授業改善力が自分に備わっているかチェックすることです。もし、不足を認識したら、自力でカバーする努力をすべきです。それが「プロの教師」の責任だと自覚し、自律した教師となるべく努力することです。その最も容易な方法は、生徒たちを自分の授業改善の研究パートナーと位置づけ、協働して日日の授業改善に努めるのです。この体験は教師の成長に意味があるだけでなく、生徒にも、将来の民主的な日本人として異なる文化の人たちと協働して問題解決にあたる能力、すなわち、intercultural communication competence の育成を助けることにもなります。換言すれば、ARを実践すれば、教師も生徒もそれぞれの可能性を高めることができるのです。

 しかし、アクション・リサーチで問題が全て解決するということではありません。事実、アクション・リサーチの母国であるイギリスでは、ARの質、量ともに近年、落ち目にあることが気になっていました。それが、つい最近、次の記事を見つけました。

 Concerns have been expressed that forms of reflective practice, particularly action research, are being narrowly interpreted and employed instrumentally as a means of realizing government policy aims. (Clayton, S. et, al. 2008. I know it's not proper research, but…Educational Action Research. Vol. 16)
「やっぱりそうか」というのが実感でした。ARの衰退とイギリスの教育の退潮は無関係ではなかったのです(福田誠治『競争しても学力行き止まり:イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』(2007: 朝日新聞)。現在では、イギリスに変わり、オランダ、ベルギー、フィンランド、スウエーデンの北欧諸国で、ARは教員養成や現場で利用されています。そして、概して言えば、この国々では教育に対する国民の満足度は高いのです。

 そこで、最終的な質問、「ARは英語教育を救えるか?」への解答です。結論としていえば、目先の利益のためだけにARを利用しても、やがて行き詰まるでしょう。より長期的な視点が必要です。生徒は現状を認識した上で、明日の国際社会を生きる生徒を育むためには、今、自分は何かできるのか、教師としてのプライドを賭けてARを進めてゆかなければなりません。可能でしょうか? Yes, we can! And we must!

シンポジュームでの質問に答える
1) なぜ、アクション・リサーチでは、「仮説」が2個や3個もあるのですか?仮説が1個なら、実験の成功・失敗が仮説の肯定・否定と直結すると思うのですが。
  まず、注意して欲しいのは、ARの「仮説」は、実験的調査で証明したり、否定したりする「仮説」とは異なり、授業改善をするための「対策」と呼んだほうが実態に近いということです。具体例で説明しましょう。
 「内気な生徒が多く、話すことを苦手とするクラスで、ALTとの対話を1分間持続できる生徒を増やすには、どのように指導すればよいか」という問題を扱ったとします。実態調査をすると、少なくとも次のような要因が関連していることが分かるでしょう。
(1) 情緒的な要因(笑われるからいや、恥ずかしい、ALTだと緊張する、などなど)
(2) 語学的要因(単語が分からない、文法に自信がない、発音が苦手、などなど)
(3) 体験的要因(外国人と話したことがない、何を話したらよいのか分からない、話しの切り出し方がわからない、などなど)
とすれば、このリサーチの成否は3要因のすべてに関連しています。ですから「仮説」が複数とならざるを得ないのです。ただ、「仮説」のすべてを同時に実施するわけではありません。当初は(1)の仮説を、たとえば「弾丸インプット」で対応し、話す抵抗が減ずることに精力を集中し、それがなんとかできたことを確認したら、次ぎの仮説、「文型の導入は自己表現活動に結びつけて行う」に集中し、1) 2)が一応できたことを確認してから、第3の仮説、「スピーチを用いたグループ活動で、話す体験を多くする」に努力を集中するのです。
 
2)「受験英語は悪」のように言われると、受験生を指導する立場にいる者として納得できません。「ARは生徒の実態を直視する」といいながら、合格したい生徒の希望に応えようと努力している教師を否定するのでしょうか。
 まず、「受験英語」は日本の英語教育の一部である以上、それを無視しては受験校でのARは不可能です。私が否定しているのは、受験に合格することが最終目標となっている授業です。すなわち、受験に受かるためのテクニークや英語力を付けることが目標となっている授業だとしたら、それはもったいないと言いたいのです。なぜなら、受験に合格することと、コミュニカティブな授業を展開することは概ね矛盾しないからです。少なくとも、センター試験のレベルでは、教師の工夫で両立は可能だと思います。
 その一方で、英文和訳や和文英訳の入試を課す大学が存在することも事実です。しかし、こうした大学に合格させることが目標だとしたら、予備校と全く変わらない授業になるでしょう。それで「未来を生きる力」を生徒に与えることができるでしょうか。目先の入試のために、「英語嫌いで、英語力も低い生徒」を大量生産しているとしたら、教師としてのプライドはどこにあるのでしょうか。受験を越えても意味のある英語力を伸ばすのが教師の任務だと私は主張したいのです。

Sunday, January 4, 2009

新年のご挨拶 2009

新年あけましておめでとうございます。

日本の英語教育をなんとかしたい。そのための第一歩として、マンネリ化した教員研修を変えたい。そのような思いから、私たちは昨年7月に「AR支援ネットワーク」は立ち上げました。

これまでも、魅力的な教員研修はたくさんありました。すばらしい実践、精緻な理論、楽しいお話。参加者は、多くのことを学び、授業に生かしてきました。これからも、こうした学びは提供し続けるべきだと思います。

一方、それだけでは、根本的には授業が変わらないことも見てきました。一人ひとりの教員が、それぞれの教室で、自らの問題意識に基づいて、結果と原因を考えながら、論理的に問題を追及していく研修が必要なのです。

この点について『AR支援ネットワーク通信』第1号(2008.7.1配信)では次ぎのように述べています。

「極端に言えば、授業の責任が取れなければ、一人前の教師ではないのです。ということは、そのための教員研修は、自分が選んだ問題の解決を探ることを中心にすべきです。「リサーチのownership」が確保されない研修は、教師の育成には欠けた部分があるのです。」

私たちは教師をリサーチャーにしようとしているのではありません。「生徒たちが、目を輝かせて、英語に取り組む姿をみたい」という一途な思いで、がんばっている先生方が、全国にはたくさんおられます。そのような先生方を、応援していくには、研修の立案や実施に携わっている私たちは何をすればよいか。今年も、「AR支援ネットワーク通信」を通じて、一緒に考えていきたいと思います。

今年も、よろしくお願いいたします。

2009年元旦

アクション・リサーチ支援ネットワーク
  佐野 正之 高橋 一幸 金森 強 長崎 政浩