Tuesday, July 8, 2008

第2回 「授業とは、生徒の中に「質的変容」を引き起こすこと」 髙橋 一幸(神奈川大学)

教師の指導と生徒の学習や活動を通して、生徒の中に「質的変容」を引き起こしえたか否か。これが筆者の考える授業成立の要件である。質的変容には、これまで言えなかったことが的確に表現できるようになったなどの「技能」(skill) の変容や、言語や題材内容などについて知らなかったことを知ったという「知識」(knowledge) の変容がある。さらに、技能や知識の変容を通して生じる究極の変容は、生徒たちの日常のものの考え方や感じ方、人との接し方、行動様式などに変化を及ぼす「態度」(attitude) の変容である。ここまで来れば、それはまさに英語「教育」と呼ぶに値しよう。

長期的・短期的視点から、授業を通してどのような変容を生徒に引き起こしたいのか? 看板倒れではなく目標を実現するためには、抽象的な目標を教師・生徒の双方にとって評価可能な具体的活動として設定すること。これが、授業を設計する基盤となる。

指導の鉄則は、レディネスを作ること。

実際の指導では、単位授業にせよ、単元や年間指導計画にせよ、個々の指導過程や活動、1回1回の授業を相互に関連付け、具体的目標(goal)に向かってスモール・ステップを踏んで、無理なく、すべての生徒たちを導く道筋(route)を考えなくてはならない。例えば、1, 2, 3, 4の順序は2, 4, 1, 3ではダメで、1, 2, 3, 4であって初めて効果が上がるのである。指導過程(procedure)や指導計画(syllabus)に、このような説明可能で必然性ある順序が構築されているかどうかを十分に吟味することが授業を設計する上で不可欠なこと、「点として存在する活動や授業を線で結ぶ」ことが肝要である。

Tuesday, July 1, 2008

第1回「理想と現実と諦め」  髙橋 一幸(神奈川大学) 



 生徒たちが目を輝かせ、大きな声で英語を発声し、生き生きと伝達表現活動や自己表現活動に参加する。そのような授業を実現したい。教師であればだれもが願うことである。しかし、その意に反して指導がカラ回りして教師のひとり芝居となって、シラけた沈黙が広がり、まったく無関係な雑談や喧騒のうちに授業終了のチャイムを聞く、といったこともある。そして、心ある教師は自信を失ったり、自己嫌悪に陥ったりするのだが、これは教師として正常な証拠。こういうときに、「こんなできの悪い生徒を教えられるか!」と、授業が成立しない責任のすべてを生徒に転嫁したり、日々くり返される現実への諦めから、問題意識すら麻痺し何の改善意欲も生じなくなれば、教師生命は終わりである。

授業は生徒と教師の双方の努力によって創りあげるもの。生徒が担うべき責任も多いことは事実だが、一人ひとりの生徒が自ら学ぼうとする意欲や態度を育てることが教師本来の仕事であることを考えるなら、プロとしてより大きな責を負うべきことは当然である。「生徒には教師を選ぶ権利はない」のだから。自分の授業を内省(reflect)し、日々その改善を図ることが教師に求められる所以である。「“英語が使える日本人”育成のための戦略構想・行動計画」のもとに5カ年計画で実施された全英語教員対象の「悉皆研修」、また、進行中の「教育改革」の中では不適格教員に対する再研修や現場からの配置換え、教員免許の10年毎の更新制などが現在検討されているが、児童・生徒のためにより良い授業を求めて自分の授業を工夫・改善することは、専門職として教師自らが何を置いてでも率先して、まず取り組むべき課題である。