「英語教員のためのアクション・リサーチ支援ネットワーク」では、これまで登録メンバーを対象に、メールでの通信を配信してきました。
第1部 「教員研修とアクション・リサーチ」 1号~5号
第2部 「ARS@MR(松山大学ARゼミ)の実践報告」 6号~23号
現在、第3部 「小学校英語活動」を配信中です。第3部の最終的なゴールはARを使って、小学校英語活動を改善する取組を進めることです。しかし、まだ小学校英語活動自体の実践が少なく、課題や不安を抱える方が多いことから、小学校英語活動の効果的な進め方について、佐野先生から問題提起していただきながら、小学校英語活動の進め方についての考え方や小学校の先生方の指導力を高める校内研修の在り方などについて、学んでいます。
関心のある方は、ぜひ、メンバー登録していただき。一緒に小学校英語活動について考えていければと思っています。
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Sunday, September 6, 2009
Sunday, January 11, 2009
「謹賀新年と日本の英語教育」
松山大学 佐野正之
おめでとうございます
みなさま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年の6月から通信を開始しましたので、丁度、半年が経過したことになります。通信が、アクション・リサーチの理解や実践に少しはお役にたったでしょうか。こちらとしては見えない相手に呼びかけているので、それなりに苦労もありますが、反面、アウトプットを期待するにはその何倍ものインプットが必要だと理解しておりますので、今年も私の考えや多くの情報を通信でお知らせしたいと思っています。そこから、よりインターアクティブな関係が構築されることを期待して、年頭の挨拶といたします。
初売りの福袋:「なぜ、アクション・リサーチなのか」
さて、今年の初売りは、昨年11月29日の「アクション・リサーチ交流会」で私がした基調講演の紹介です。これは年頭の「福袋」ですから、当然、中身が多く、必ずしも、欲しいものだけ入っているとは限りません。ご了解のほどお願いいたします。
*これでよいのか日本の英語教育
最近読んだ論文(斎田.2008.JACET Journal.No.47)に興味深い調査結果が載っていました。日本の大学生の平均的な英語力を「ヨーロッパ共通参照枠」で検証すると、「文法力」や「語彙力」は辛うじてヨーロッパの高校生なみだが、「読む力」「書く力」は中学生なみ、「聞く力」に至っては小学生なみだというのです。なんとも厳しい結果ではありませんか。ただ、「聞く力」については、音声が聞きなれた米語ではなく英語だということ、また、機器の操作で、聞くことに集中できなかったなどの事実を勘案する必要はあるでしょうが。
また、被験者は一つの国立大学の学生なので、結果を一般化して「日本の大学生」として論ずるのは不適切だという批判も当然可能です。だが、この学生たちの平均的な語彙サイズが3,700語程度であり、しかもきれいな正規分布をしていることから、日本の大学生の一般的な英語力とみなして、大きな違いはなさそうです。とすると、日本の英語教育は、これでよいのかとあらためて考えさせられます。不振の理由はどこにあるのでしょうか?
*不振の理由
理由は複合的ですが、まず、指摘すべきは、日本の英語授業は、本音では「受験のための英語」なので、「コミュニケーションのための英語力」は育たないのということです。受験のために暗記した知識は、受験が終われば賞味期間切れとなり、急速に失われます。だから、通常の英語授業を変えないかぎり、本当の英語力は伸びないのです。
第2の理由としては、文部行政の貧困があります。中学の週3体制、非常識なクラス・サイズ、過重な雑務で疲弊する教師、進学競争のプレッシャー、小学校英語活動をめぐる迷走などなど、無責任な教育行政も不振の大きな理由です。
第3の理由として、教員養成が挙げられるでしょう。およそ「プロ」を育てる体制ができておらず、必要な英語力、授業力、授業改善力を育ててから現場に送りだすというシステムがないまま、「免許状更新」など、まさに「割れ鍋に閉じ蓋」でしかありません。
第4の、最も重要な理由は、政治の混迷です。将来のvisionがないまま、経済利益優先の自由化に突っ走り、それが社会的格差を生み、弱者切捨てにつながり、本来最優先すべき教育を軽視する風潮を増長し、結局は「学校bashing 」の原因となっているのです。この負の循環を断ち切るには、国民が、なかんずく教師が、未来への展望を持たなければなりません。その意味では、フィンランド教育は格好の鏡となります。
*フィンランド教育を鏡に
私は「フィンランドは学力世界一」という言葉に酔っているわけではありません。この国が、日本の「不振の理由」を見事に映し出してくれるからです。まず、見習うべきは明確な国家的なvision です。フィンランドはアメリカ主導の「国際化」と一線を画し、「もうひとつの国際化」の旗手と自国を位置づけています。「もう一つの国際化」というのは、経済的利潤だけを優先するのではなく、人権、平等、文化、環境など人類共通の価値を守るという立場です。「国際化」に含まれる経済的競争と民主主義のどちらを優先するかと言い換えてもよいでしょう。日本はアメリカの尻馬に乗り、経済の自由競争と新保守主義の政策を進めてきました。フィンランドは国際的な競争力を維持しながらも、多文化と共存・協働する姿勢を国是とし、その原動力を教育に求めてきました。PISAの学力テストも、煎じ詰めれば、協働して国際問題を解決する地球市民の育成を目指したものなのです。
ですから、フィンランドでは「教育だけが国を救う」という信念のもと、教育立国を目指し、いろいろな制度改革を実施してきました。すなわち、教育に関る費用は小学校から大学まで全額免除、入学試験や全国共通学力テストは廃止、少人数クラスの徹底、落ちこぼれのない教育、などなど、現場の裁量権を大幅に増やし、管理は必要最低限にしてきました。PISAの成績が良いのも、下位生徒の成績が他国と比してずば抜けて高いからです。この点については、福田誠治『競争やめたら学力世界一』(2006:朝日新聞)参照。
フィンランドの教員養成のシステムも、また、優れています。もともと、高校生の憧れの職業No. 1 ということもあり、優秀な人材が教員を志望することに加えて、500 時間もの教育実習を計画的に課し、大学の講義と実習校のメンターの協力で、授業力、授業改善力を徹底的に鍛えるのです。また、修士号が条件なので、research-based teacher education が見事に実現し、アクション・リサーチは、その中核をなしています(Jakku-Sihvonen. R. 2008. Education as a Societal Contributor: Peter Lang. p 156-7)。
では、学校ではどのような指導法が用いられているのでしょうか。もともと、英語に対する興味が強い社会的環境や、小学校3年生から英語が必修だということもあり、高校の卒業生なら、英語で十分コミュニケーションできる能力が当然だとされています。授業はタスク中心で、考える、相互交渉する、発表する、書くことが重視されます。具体例は日本からの留学生が高校の英語授業でどのように変身したかを書いた手記(実川真由美『受けてみたフィンランド教育』2007:文芸春秋)を参照してください。
このように見てくると、フィンランドは国家戦略に基づいて教育政策があり、それを実現するための教師養成が実施され、授業実践がなされていることが分かります。では、前提条件が全く異なる日本では、どうすればよいのでしょうか。
*アクション・リサーチは日本を救えるか
では、私たちは何ができるのでしょうか。国の戦略や教育政策は、一教師の手に負えるものではありません。しかし、私たちにもできることがあります。それは、本来なら教員養成課程で身につけるべき授業力、授業改善力が自分に備わっているかチェックすることです。もし、不足を認識したら、自力でカバーする努力をすべきです。それが「プロの教師」の責任だと自覚し、自律した教師となるべく努力することです。その最も容易な方法は、生徒たちを自分の授業改善の研究パートナーと位置づけ、協働して日日の授業改善に努めるのです。この体験は教師の成長に意味があるだけでなく、生徒にも、将来の民主的な日本人として異なる文化の人たちと協働して問題解決にあたる能力、すなわち、intercultural communication competence の育成を助けることにもなります。換言すれば、ARを実践すれば、教師も生徒もそれぞれの可能性を高めることができるのです。
しかし、アクション・リサーチで問題が全て解決するということではありません。事実、アクション・リサーチの母国であるイギリスでは、ARの質、量ともに近年、落ち目にあることが気になっていました。それが、つい最近、次の記事を見つけました。
Concerns have been expressed that forms of reflective practice, particularly action research, are being narrowly interpreted and employed instrumentally as a means of realizing government policy aims. (Clayton, S. et, al. 2008. I know it's not proper research, but…Educational Action Research. Vol. 16)
「やっぱりそうか」というのが実感でした。ARの衰退とイギリスの教育の退潮は無関係ではなかったのです(福田誠治『競争しても学力行き止まり:イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』(2007: 朝日新聞)。現在では、イギリスに変わり、オランダ、ベルギー、フィンランド、スウエーデンの北欧諸国で、ARは教員養成や現場で利用されています。そして、概して言えば、この国々では教育に対する国民の満足度は高いのです。
そこで、最終的な質問、「ARは英語教育を救えるか?」への解答です。結論としていえば、目先の利益のためだけにARを利用しても、やがて行き詰まるでしょう。より長期的な視点が必要です。生徒は現状を認識した上で、明日の国際社会を生きる生徒を育むためには、今、自分は何かできるのか、教師としてのプライドを賭けてARを進めてゆかなければなりません。可能でしょうか? Yes, we can! And we must!
シンポジュームでの質問に答える
1) なぜ、アクション・リサーチでは、「仮説」が2個や3個もあるのですか?仮説が1個なら、実験の成功・失敗が仮説の肯定・否定と直結すると思うのですが。
まず、注意して欲しいのは、ARの「仮説」は、実験的調査で証明したり、否定したりする「仮説」とは異なり、授業改善をするための「対策」と呼んだほうが実態に近いということです。具体例で説明しましょう。
「内気な生徒が多く、話すことを苦手とするクラスで、ALTとの対話を1分間持続できる生徒を増やすには、どのように指導すればよいか」という問題を扱ったとします。実態調査をすると、少なくとも次のような要因が関連していることが分かるでしょう。
(1) 情緒的な要因(笑われるからいや、恥ずかしい、ALTだと緊張する、などなど)
(2) 語学的要因(単語が分からない、文法に自信がない、発音が苦手、などなど)
(3) 体験的要因(外国人と話したことがない、何を話したらよいのか分からない、話しの切り出し方がわからない、などなど)
とすれば、このリサーチの成否は3要因のすべてに関連しています。ですから「仮説」が複数とならざるを得ないのです。ただ、「仮説」のすべてを同時に実施するわけではありません。当初は(1)の仮説を、たとえば「弾丸インプット」で対応し、話す抵抗が減ずることに精力を集中し、それがなんとかできたことを確認したら、次ぎの仮説、「文型の導入は自己表現活動に結びつけて行う」に集中し、1) 2)が一応できたことを確認してから、第3の仮説、「スピーチを用いたグループ活動で、話す体験を多くする」に努力を集中するのです。
2)「受験英語は悪」のように言われると、受験生を指導する立場にいる者として納得できません。「ARは生徒の実態を直視する」といいながら、合格したい生徒の希望に応えようと努力している教師を否定するのでしょうか。
まず、「受験英語」は日本の英語教育の一部である以上、それを無視しては受験校でのARは不可能です。私が否定しているのは、受験に合格することが最終目標となっている授業です。すなわち、受験に受かるためのテクニークや英語力を付けることが目標となっている授業だとしたら、それはもったいないと言いたいのです。なぜなら、受験に合格することと、コミュニカティブな授業を展開することは概ね矛盾しないからです。少なくとも、センター試験のレベルでは、教師の工夫で両立は可能だと思います。
その一方で、英文和訳や和文英訳の入試を課す大学が存在することも事実です。しかし、こうした大学に合格させることが目標だとしたら、予備校と全く変わらない授業になるでしょう。それで「未来を生きる力」を生徒に与えることができるでしょうか。目先の入試のために、「英語嫌いで、英語力も低い生徒」を大量生産しているとしたら、教師としてのプライドはどこにあるのでしょうか。受験を越えても意味のある英語力を伸ばすのが教師の任務だと私は主張したいのです。
おめでとうございます
みなさま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年の6月から通信を開始しましたので、丁度、半年が経過したことになります。通信が、アクション・リサーチの理解や実践に少しはお役にたったでしょうか。こちらとしては見えない相手に呼びかけているので、それなりに苦労もありますが、反面、アウトプットを期待するにはその何倍ものインプットが必要だと理解しておりますので、今年も私の考えや多くの情報を通信でお知らせしたいと思っています。そこから、よりインターアクティブな関係が構築されることを期待して、年頭の挨拶といたします。
初売りの福袋:「なぜ、アクション・リサーチなのか」
さて、今年の初売りは、昨年11月29日の「アクション・リサーチ交流会」で私がした基調講演の紹介です。これは年頭の「福袋」ですから、当然、中身が多く、必ずしも、欲しいものだけ入っているとは限りません。ご了解のほどお願いいたします。
*これでよいのか日本の英語教育
最近読んだ論文(斎田.2008.JACET Journal.No.47)に興味深い調査結果が載っていました。日本の大学生の平均的な英語力を「ヨーロッパ共通参照枠」で検証すると、「文法力」や「語彙力」は辛うじてヨーロッパの高校生なみだが、「読む力」「書く力」は中学生なみ、「聞く力」に至っては小学生なみだというのです。なんとも厳しい結果ではありませんか。ただ、「聞く力」については、音声が聞きなれた米語ではなく英語だということ、また、機器の操作で、聞くことに集中できなかったなどの事実を勘案する必要はあるでしょうが。
また、被験者は一つの国立大学の学生なので、結果を一般化して「日本の大学生」として論ずるのは不適切だという批判も当然可能です。だが、この学生たちの平均的な語彙サイズが3,700語程度であり、しかもきれいな正規分布をしていることから、日本の大学生の一般的な英語力とみなして、大きな違いはなさそうです。とすると、日本の英語教育は、これでよいのかとあらためて考えさせられます。不振の理由はどこにあるのでしょうか?
*不振の理由
理由は複合的ですが、まず、指摘すべきは、日本の英語授業は、本音では「受験のための英語」なので、「コミュニケーションのための英語力」は育たないのということです。受験のために暗記した知識は、受験が終われば賞味期間切れとなり、急速に失われます。だから、通常の英語授業を変えないかぎり、本当の英語力は伸びないのです。
第2の理由としては、文部行政の貧困があります。中学の週3体制、非常識なクラス・サイズ、過重な雑務で疲弊する教師、進学競争のプレッシャー、小学校英語活動をめぐる迷走などなど、無責任な教育行政も不振の大きな理由です。
第3の理由として、教員養成が挙げられるでしょう。およそ「プロ」を育てる体制ができておらず、必要な英語力、授業力、授業改善力を育ててから現場に送りだすというシステムがないまま、「免許状更新」など、まさに「割れ鍋に閉じ蓋」でしかありません。
第4の、最も重要な理由は、政治の混迷です。将来のvisionがないまま、経済利益優先の自由化に突っ走り、それが社会的格差を生み、弱者切捨てにつながり、本来最優先すべき教育を軽視する風潮を増長し、結局は「学校bashing 」の原因となっているのです。この負の循環を断ち切るには、国民が、なかんずく教師が、未来への展望を持たなければなりません。その意味では、フィンランド教育は格好の鏡となります。
*フィンランド教育を鏡に
私は「フィンランドは学力世界一」という言葉に酔っているわけではありません。この国が、日本の「不振の理由」を見事に映し出してくれるからです。まず、見習うべきは明確な国家的なvision です。フィンランドはアメリカ主導の「国際化」と一線を画し、「もうひとつの国際化」の旗手と自国を位置づけています。「もう一つの国際化」というのは、経済的利潤だけを優先するのではなく、人権、平等、文化、環境など人類共通の価値を守るという立場です。「国際化」に含まれる経済的競争と民主主義のどちらを優先するかと言い換えてもよいでしょう。日本はアメリカの尻馬に乗り、経済の自由競争と新保守主義の政策を進めてきました。フィンランドは国際的な競争力を維持しながらも、多文化と共存・協働する姿勢を国是とし、その原動力を教育に求めてきました。PISAの学力テストも、煎じ詰めれば、協働して国際問題を解決する地球市民の育成を目指したものなのです。
ですから、フィンランドでは「教育だけが国を救う」という信念のもと、教育立国を目指し、いろいろな制度改革を実施してきました。すなわち、教育に関る費用は小学校から大学まで全額免除、入学試験や全国共通学力テストは廃止、少人数クラスの徹底、落ちこぼれのない教育、などなど、現場の裁量権を大幅に増やし、管理は必要最低限にしてきました。PISAの成績が良いのも、下位生徒の成績が他国と比してずば抜けて高いからです。この点については、福田誠治『競争やめたら学力世界一』(2006:朝日新聞)参照。
フィンランドの教員養成のシステムも、また、優れています。もともと、高校生の憧れの職業No. 1 ということもあり、優秀な人材が教員を志望することに加えて、500 時間もの教育実習を計画的に課し、大学の講義と実習校のメンターの協力で、授業力、授業改善力を徹底的に鍛えるのです。また、修士号が条件なので、research-based teacher education が見事に実現し、アクション・リサーチは、その中核をなしています(Jakku-Sihvonen. R. 2008. Education as a Societal Contributor: Peter Lang. p 156-7)。
では、学校ではどのような指導法が用いられているのでしょうか。もともと、英語に対する興味が強い社会的環境や、小学校3年生から英語が必修だということもあり、高校の卒業生なら、英語で十分コミュニケーションできる能力が当然だとされています。授業はタスク中心で、考える、相互交渉する、発表する、書くことが重視されます。具体例は日本からの留学生が高校の英語授業でどのように変身したかを書いた手記(実川真由美『受けてみたフィンランド教育』2007:文芸春秋)を参照してください。
このように見てくると、フィンランドは国家戦略に基づいて教育政策があり、それを実現するための教師養成が実施され、授業実践がなされていることが分かります。では、前提条件が全く異なる日本では、どうすればよいのでしょうか。
*アクション・リサーチは日本を救えるか
では、私たちは何ができるのでしょうか。国の戦略や教育政策は、一教師の手に負えるものではありません。しかし、私たちにもできることがあります。それは、本来なら教員養成課程で身につけるべき授業力、授業改善力が自分に備わっているかチェックすることです。もし、不足を認識したら、自力でカバーする努力をすべきです。それが「プロの教師」の責任だと自覚し、自律した教師となるべく努力することです。その最も容易な方法は、生徒たちを自分の授業改善の研究パートナーと位置づけ、協働して日日の授業改善に努めるのです。この体験は教師の成長に意味があるだけでなく、生徒にも、将来の民主的な日本人として異なる文化の人たちと協働して問題解決にあたる能力、すなわち、intercultural communication competence の育成を助けることにもなります。換言すれば、ARを実践すれば、教師も生徒もそれぞれの可能性を高めることができるのです。
しかし、アクション・リサーチで問題が全て解決するということではありません。事実、アクション・リサーチの母国であるイギリスでは、ARの質、量ともに近年、落ち目にあることが気になっていました。それが、つい最近、次の記事を見つけました。
Concerns have been expressed that forms of reflective practice, particularly action research, are being narrowly interpreted and employed instrumentally as a means of realizing government policy aims. (Clayton, S. et, al. 2008. I know it's not proper research, but…Educational Action Research. Vol. 16)
「やっぱりそうか」というのが実感でした。ARの衰退とイギリスの教育の退潮は無関係ではなかったのです(福田誠治『競争しても学力行き止まり:イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』(2007: 朝日新聞)。現在では、イギリスに変わり、オランダ、ベルギー、フィンランド、スウエーデンの北欧諸国で、ARは教員養成や現場で利用されています。そして、概して言えば、この国々では教育に対する国民の満足度は高いのです。
そこで、最終的な質問、「ARは英語教育を救えるか?」への解答です。結論としていえば、目先の利益のためだけにARを利用しても、やがて行き詰まるでしょう。より長期的な視点が必要です。生徒は現状を認識した上で、明日の国際社会を生きる生徒を育むためには、今、自分は何かできるのか、教師としてのプライドを賭けてARを進めてゆかなければなりません。可能でしょうか? Yes, we can! And we must!
シンポジュームでの質問に答える
1) なぜ、アクション・リサーチでは、「仮説」が2個や3個もあるのですか?仮説が1個なら、実験の成功・失敗が仮説の肯定・否定と直結すると思うのですが。
まず、注意して欲しいのは、ARの「仮説」は、実験的調査で証明したり、否定したりする「仮説」とは異なり、授業改善をするための「対策」と呼んだほうが実態に近いということです。具体例で説明しましょう。
「内気な生徒が多く、話すことを苦手とするクラスで、ALTとの対話を1分間持続できる生徒を増やすには、どのように指導すればよいか」という問題を扱ったとします。実態調査をすると、少なくとも次のような要因が関連していることが分かるでしょう。
(1) 情緒的な要因(笑われるからいや、恥ずかしい、ALTだと緊張する、などなど)
(2) 語学的要因(単語が分からない、文法に自信がない、発音が苦手、などなど)
(3) 体験的要因(外国人と話したことがない、何を話したらよいのか分からない、話しの切り出し方がわからない、などなど)
とすれば、このリサーチの成否は3要因のすべてに関連しています。ですから「仮説」が複数とならざるを得ないのです。ただ、「仮説」のすべてを同時に実施するわけではありません。当初は(1)の仮説を、たとえば「弾丸インプット」で対応し、話す抵抗が減ずることに精力を集中し、それがなんとかできたことを確認したら、次ぎの仮説、「文型の導入は自己表現活動に結びつけて行う」に集中し、1) 2)が一応できたことを確認してから、第3の仮説、「スピーチを用いたグループ活動で、話す体験を多くする」に努力を集中するのです。
2)「受験英語は悪」のように言われると、受験生を指導する立場にいる者として納得できません。「ARは生徒の実態を直視する」といいながら、合格したい生徒の希望に応えようと努力している教師を否定するのでしょうか。
まず、「受験英語」は日本の英語教育の一部である以上、それを無視しては受験校でのARは不可能です。私が否定しているのは、受験に合格することが最終目標となっている授業です。すなわち、受験に受かるためのテクニークや英語力を付けることが目標となっている授業だとしたら、それはもったいないと言いたいのです。なぜなら、受験に合格することと、コミュニカティブな授業を展開することは概ね矛盾しないからです。少なくとも、センター試験のレベルでは、教師の工夫で両立は可能だと思います。
その一方で、英文和訳や和文英訳の入試を課す大学が存在することも事実です。しかし、こうした大学に合格させることが目標だとしたら、予備校と全く変わらない授業になるでしょう。それで「未来を生きる力」を生徒に与えることができるでしょうか。目先の入試のために、「英語嫌いで、英語力も低い生徒」を大量生産しているとしたら、教師としてのプライドはどこにあるのでしょうか。受験を越えても意味のある英語力を伸ばすのが教師の任務だと私は主張したいのです。
Sunday, January 4, 2009
新年のご挨拶 2009
新年あけましておめでとうございます。
日本の英語教育をなんとかしたい。そのための第一歩として、マンネリ化した教員研修を変えたい。そのような思いから、私たちは昨年7月に「AR支援ネットワーク」は立ち上げました。
これまでも、魅力的な教員研修はたくさんありました。すばらしい実践、精緻な理論、楽しいお話。参加者は、多くのことを学び、授業に生かしてきました。これからも、こうした学びは提供し続けるべきだと思います。
一方、それだけでは、根本的には授業が変わらないことも見てきました。一人ひとりの教員が、それぞれの教室で、自らの問題意識に基づいて、結果と原因を考えながら、論理的に問題を追及していく研修が必要なのです。
この点について『AR支援ネットワーク通信』第1号(2008.7.1配信)では次ぎのように述べています。
「極端に言えば、授業の責任が取れなければ、一人前の教師ではないのです。ということは、そのための教員研修は、自分が選んだ問題の解決を探ることを中心にすべきです。「リサーチのownership」が確保されない研修は、教師の育成には欠けた部分があるのです。」
私たちは教師をリサーチャーにしようとしているのではありません。「生徒たちが、目を輝かせて、英語に取り組む姿をみたい」という一途な思いで、がんばっている先生方が、全国にはたくさんおられます。そのような先生方を、応援していくには、研修の立案や実施に携わっている私たちは何をすればよいか。今年も、「AR支援ネットワーク通信」を通じて、一緒に考えていきたいと思います。
今年も、よろしくお願いいたします。
2009年元旦
アクション・リサーチ支援ネットワーク
佐野 正之 高橋 一幸 金森 強 長崎 政浩
日本の英語教育をなんとかしたい。そのための第一歩として、マンネリ化した教員研修を変えたい。そのような思いから、私たちは昨年7月に「AR支援ネットワーク」は立ち上げました。
これまでも、魅力的な教員研修はたくさんありました。すばらしい実践、精緻な理論、楽しいお話。参加者は、多くのことを学び、授業に生かしてきました。これからも、こうした学びは提供し続けるべきだと思います。
一方、それだけでは、根本的には授業が変わらないことも見てきました。一人ひとりの教員が、それぞれの教室で、自らの問題意識に基づいて、結果と原因を考えながら、論理的に問題を追及していく研修が必要なのです。
この点について『AR支援ネットワーク通信』第1号(2008.7.1配信)では次ぎのように述べています。
「極端に言えば、授業の責任が取れなければ、一人前の教師ではないのです。ということは、そのための教員研修は、自分が選んだ問題の解決を探ることを中心にすべきです。「リサーチのownership」が確保されない研修は、教師の育成には欠けた部分があるのです。」
私たちは教師をリサーチャーにしようとしているのではありません。「生徒たちが、目を輝かせて、英語に取り組む姿をみたい」という一途な思いで、がんばっている先生方が、全国にはたくさんおられます。そのような先生方を、応援していくには、研修の立案や実施に携わっている私たちは何をすればよいか。今年も、「AR支援ネットワーク通信」を通じて、一緒に考えていきたいと思います。
今年も、よろしくお願いいたします。
2009年元旦
アクション・リサーチ支援ネットワーク
佐野 正之 高橋 一幸 金森 強 長崎 政浩
Saturday, December 13, 2008
報告「アクション・リサーチ交流会 (200811.30開催)」

はじめに
当初の計画からすると、今回はARS@MUのメンバーのARへの取り組や、支援の様子をレポートするはずでしたが、今回と次回の2回に渡り、11月29日に松山大学で行われた「アクション・リサーチ交流会」の様子と、そこで私が行った基調講演の概要をお知らせし、その後、計画に戻り、ARS@MUでのARや支援の具体例を紹介し、また、他のARのレポートと私の解説を紹介することにしたいと思います。さっそく、交流会の様子から。
参加者の人数と全体的な感想
ARS@MUのメンバーが指導主事を含めて27名、他の参加者が県内から22名、県外からは横浜の会から6名のほかに、高知、広島、京都、三重、埼玉から、総勢80名の参加者を得ました。主催者の予想を超えた人数でした。また、「支援者の会」からも、山形、福島、石川から、ARへの取り組みや受講者の感想、今後の抱負などを書いた挨拶をメールで寄せていただきました。会場で紹介させていただきましたが、参加者には大きなインパクトがあったようです。全体的な感想としては、次のようなものがあります。
*全国に真剣に授業改善に取り組んでいらっしゃる先生がこんなに多いことを知ったことが大きな発見でした。
*まずは、こんなにも多くのARの実践者の先生がいらっしゃることに感激しました。一人では継続が難しいと感じているので、ネットワークを作り、自分の地域でも「ARの会」を作りたいです。
*遠くから、多くの先生がお見えになっていて、感激しました。
*今回の研修を企画・運営していただきありがとうございました。とても勉強になりました。今後、このような会があれば、是非また、参加したいと思います。
*内容が大変よく、来てよかったと思いました。現場の忙しさに流されて、滞っていたアンケート調査を再開しようというエネルギーをいただけたことが、今回参加させていただいた一番の収穫でした。
当日の流れに沿ってー1(開会から基調講演まで)
1)開会の挨拶:鈴鹿愛媛県指導主事から、ARS@MUと横浜の会の交流を目的にしたインフォーマルな会なので、相互の交流を深めて欲しいと会の趣旨が説明されました。
2) 歓迎の言葉:金森先生から、歓迎の言葉と同時に、松山大学では、来年度の大学院の行事として、小学校英語活動の研究とARの研究を毎月1回開催する予算が確保できたので、この会を継続、発展させていきたいという決意が語られました。
3) 「AR支援ネットワーク」からの3通のメールの紹介。
4) 基調講演:日本の英語教育の低迷は、国の政策、教員養成、現場の実践が場当たり的で筋が通っていない。その対極にあるのがフィンランドで、そこで行われているresearch-based teacher education やARへの取り組みから学ぶことが沢山あるのではないかという趣旨の話をしました。詳細は次回の通信で報告します。
当日の流れに沿ってー2(研究発表)

2会場に分かれて、横浜の会から4名、ARS@MUから2名の発表がありました。タイトルは、以前にお知らせした通りです。いずれの発表も、参会者には大きなインパクトを与えたようで、次のような感想があります。
*一つの会場でやって欲しかった。聞きたい発表ばかりだったから。
*各先生の現場に応じた取り組みが紹介され、自分の課題や悩みと重なり、とても親近感をもって発表を聞くことができました。ありがとうございました。
*すばらしい内容の充実した発表ばかりで、半日ではなく、少なくともまる一日、できれば2日かけてやって欲しかった。
*最近の自分の授業を振り返る機会になった。自分と向き合って、もっと改善していかなければならないと思いました。
*どのクラスにも改革のチャンスはある。教師の取り組みで違いが出てくることを今日の発表を聞いて再認識できた。
*本当の振り返りや反省は、目標を決め、仮説を設定することでやっと本物になることを痛感した。自分の取り組みの甘さを嫌というほど感じさせられた。
など、発表に感動した人が多くいました。
この発表のうち、ARS@MUのメンバーのARを選び、経過を時系列で紹介し、折々に私がどのようなアドバイスを与えたかを、「通信14 号」でお知らせします。

当日の流れに沿ってー3(講演とミニ・シンポ)

1) 長崎先生講演:高知の悉皆研修で5年間に渡りARを実施してきた成果を、教員の指導力のどの部分にARの効果が現れたという視点から、アンケート調査の分析結果を踏まえて解説されました。5年間の実践の重みを感じました。
2) 高橋先生講演:教員養成の歴史をみるとteacher trainingから、教師の主体性を認めたteacher developmentに変わりつつあり、そのことは新技術をただ溜め込んでゆくassimilation ではなく、自己変革をともなうaccommodationを意図しなければならない。このことは、免許状更新の講座でも必要という提案は説得力がありました。
3) ミニ・シンポ:金森先生の司会で、参加者の質問に私が答える形で進行しました。「受験英語とAR」、「ARの仮説はなぜ複数あるのか?」の2点に話しが集中しましたが、時間不足のため、十分ではありませんでした。この2点については次回の通信で説明します。

この部分の感想としては、
*尊敬する先生方がいつも変わらぬ熱い想いをもって活動されている姿を見ると、大変力になりました。
*生の大学の先生の話しが聞けたこと、普段は考えないような、でもとても大切な話を教えていただいて、自分の知識が広がりました。
*普段の取り組の中での疑問に解答が見つかり、パズルが埋まっていくようでした。ありがとうございました。
*フィンランド教育やresearch-mindedであることの重要性、また、アクション・リサーチの理論や調査方法について理解が深まりました。
*国の文部行政が現状を見直し、一本筋を通すことができないなら、せめて自分が関る生徒には、将来を見据えた教育をしたいと思いました。
総合的な評価と来年度のこと
この交流会は、もともとは、横浜の会のメンバーを松山大学に招き、発表を聞いて、愛媛のアクション・リサーチのレベル・アップを意図して計画したものです。ところが、「それだったら愛媛県の教員一般にも開放しようか」「愛媛県以外の人も参加できるようにしようか」「だったら、支援者の会にも知らせようか」というように、次第に規模が広がったものです。しかし、対象者の規模は広がっても目的は変わらず、参会者たちの交流によって、ARの可能性を多くのひとに知って欲しいというものでした。この点に関しては、当日の参会者の様子、発言内容、感想、また、懇親会での会話などを総合すると、予期した以上の成果を挙げたのではないかと思います。愛媛県の教員の中には、「来月からARS@MUに参加させて欲しい」という人も出てきました。
会の成功に気を強くしたからというわけではありませんが、私としては、ARに興味を持っている人たちが年に一度集まり、情報を交換するばかりでなく、互いにエールを交換するハレの場(=祭り)を持つことは意味があると思います。感想からも読み取れるように、現場は決してARにfriendly ではありません。そんななかで、ARをする、しないは別にして、教師としての誇りとresearch mind を持ち続けることは容易なことではなく、とても勇気がいるし、また、周囲の励ましが必要です。その一助として祭りの場を用意し、交流を深める意味は大いにあると私は思います。
これは、まだ、私の個人的な意見ですが、関係者と相談して実現に努めたいと思っています。皆さんのお考えはいかがでしょうか。今年の反省の上に立って、さらに充実した会にしたいと考えていますので、興味のある方は参加を検討ください。事前の準備をしっかりとして、参会者のニーズにそうようにしたいと願っています。
それでは、このメールでは交流会の概要をお知らせしました。次回の通信は、新年のご挨拶と一緒になりますが、交流会で私が行った基調講演の内容を紹介し、それに関して参加者からでた2つの質問、すなわち、「ARではなぜ仮説が複数なのか」「受験英語は駄目なのか」の2点について私見を述べたいと思います。乞うご期待。
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「AR支援ネットワーク通信(12)」(松山大学 佐野正之)からの引用
Saturday, December 6, 2008
アクション・リサーチ交流会2008 in 松山
Tuesday, November 4, 2008
私のアクションリサーチ File #2-2 山田 憲昭先生(高知西高校)

前編において、私とアクション・リサーチ(以降AR)の出会いについて、個人的な思いを含めたレポートを書いた。この後編では、昨年度(2007年度)高知西高校で実施したAR事例を具体的に報告したい。
まず、私がAR対象として選んだのは、高知西高校普通科・2年生(39名)のクラスのライティング(2単位)の授業である。4月当初のスタディ・サポート及び6月の中間考査によると、そのクラスの英語力クラス平均値は同じ学年の中で最も低いという結果であった。また、家庭学習の時間が少なく、平日で10分程度であった。さらに、1年次からの成績不振者5~6名存在し、授業に対する好感度も低く、「英語嫌い」が目立っていた。一方、4~6月の授業観察では、教員の話を静かに聴き、ノートも一応取る、いわゆる「まじめに授業を受ける生徒集団」という一面もあった。
このような背景を踏まえて、このクラスの生徒たちの英語力の向上のために、以下のようなリサーチ・クエスチョン及び仮説および実施計画を立て、7月以降には授業実践を開始した。
リサーチ・クエスチョン 英語に対する苦手意識が強いクラスで、生徒が自信を持って授業中の活動に参加し、「英語がわかる・できる・楽しい」という実感が持て、基礎的な英語力を定着させるには、どのような指導が効果的であろうか?
仮説1―授業開始後すぐに、簡単な英語ゲームを実施することで、英語学習の雰囲気を向上させることができるだろう。
仮説2―授業中に行う教科書中の課題Task1・2・3をハンドアウト化して、取り組みやすくすることで、生徒の授業中の活動が活性化するだろう。
仮説3―月1回テーマを設定しての英作文課題「月一課題」を発展・改良し、模試や入試など教科書以外のライティング課題を導入することで、基本的な英語力の大切さを理解させ、家庭学習を活性化させることができるだろう。
具体的実践を通じて、まずわかったことは、仮説1の英語ゲームが授業にメリハリを作り、多くの生徒に受け入れられる活動であるということであった。しかし同時に、授業が予定通りに進まないという弊害も生じた。そこで考えたのは、仮説2のハンドアウトを改良し、生徒の授業中の英文筆写時間を短縮することができる形式(穴埋め・並び替え)に変更するということであった。時間短縮の結果生じる「浮いた時間」が英語ゲームのための時間(約5~7分)ということである。英語ゲームの結果は、平常の成績に加味することとした。ゲーム内容は、教師が選んだ教科書の既習語1~2語を、1分程度の時間内に、簡単な英語を使ってペアの一方が説明し、もう一方はその説明を聞いて語を言い当てるというものであった。仮説3については、残念ながら時間の都合で十分に取り組めなかった。
この間の生徒の変容には、指導者の私には大きく思えた。4月当初は、緊張感はあるものの、活動的・協力的でなく、英語学習に自信がない様子の生徒が目立っていた。しかし、9月~11月に仮説1・2による「英語ゲームの導入」と「ハンドアウトの改良」を実施することで、生徒間に次第に打ち解けた雰囲気が生まれた。調査はしていないが、ペアで英語ゲームを行うことがそういう雰囲気が促進した可能性もあると思われる。また、11月に実施したアンケート調査では「英語学習の楽しさ感・好感度」の上昇が見られ、12月に実施した後期中間考査では、6月に55.1点であったクラス平均点が59.9点にまで向上した。徐々に生徒に「授業を楽しむ姿勢」、「授業に参加する自信」のようなものが芽生えてきたように感じた。
実は、4月当初、対象クラスが2年生7クラス中最も英語力が低いクラスだとわかり、私は少し不安を抱いていた。しかし、6月の中間考査後、アンケート調査を実施し、「英語授業に好意的」「成績を何とかしたい」と考えている生徒が3分の1程度存在しているという事実を知り、「この3分の1の生徒の力を借りて、授業を改善し、彼らの英語力をプラス方向へ向かわせることができるのではないか」と徐々に思うようになった。不安を押し殺しながら実践を継続し、ARを開始して1ヶ月を過ぎた10月頃から生徒が積極的に授業に参加し始めていることに気付いた。生徒の変容が目に見えてわかるようになり、嬉しく感じる自分がいた。教員としての喜びが、生徒の成長とともにあることを改めて認識した。
さて、最後に、今回のARで実施した種々のアンケート調査で見られた生徒の学習動機と学力向上に関わる重要な知見を報告したい。
アンケート調査によると、仮説1・2を実施することで、授業を「好きである」「まあまあ好きである」と回答した生徒が37.1%(7月)から65.8%(11月)にまで向上した。肯定的に回答した生徒の多くは、その理由として「わかりやすい」「楽しい」「おもしろい」「雰囲気がいい」「勉強になる」「ミステリー・ワードが好き」等を挙げた。さらに、11月時点で81.5%の生徒が、英語ゲームは英語力向上に「かなり役立つと思う」「まあまあ役立つと思う」と回答した。生徒たちは、その理由として「説明の仕方を学べる」「表現力が向上する」「単語を覚えられる」等、自分自身が役立ったと実感できた様々な理由を記述式で回答したが、それらは私の想定をはるかに超える内容であった。
これらから言えるのは、単にfun activityとしてゲーム活動を授業に取り入れた経緯はあったけれども、実は
それらのゲーム活動が「英語力の向上を生徒が実感できるような活動」であったことが生徒の学習動機を高めた可能性が大きい、ということである。授業と何の脈絡も発展性も、継続性もないゲーム活動であったならば、果たして生徒のやる気はこのように変容したであろうか。残念ながら、今回のARではこの1種類のゲーム活動しか行わなかったので、この疑問に正確に答えるデータはない。しかし、英語学習の雰囲気を変えることができればそれでいいと考えていた私には、生徒が予想外以上に良い方向に反応したことは本当に大きな発見・知見であった。
英語指導の現場では、ALTとのT・T授業等を中心に、ゲーム活動を頻繁に授業に取り入れているケースが見られるが、そういう先生方には是非「授業の雰囲気作り」や「生徒の注目を即効的に集める」という効果からもう一歩踏み込んで「生徒に英語力が向上しているという実感を与える」という効果を考えたゲーム活動作りにチャレンジされてはどうかと思う。
☆報告書へのリンク (現在準備中)
☆連絡先 (現所属)高知県教育委員会事務局高等学校課
TEL:088-821-4850
E-mail:noriaki_yamada@kt5.kochinet.ed.jp
Tuesday, October 14, 2008
ご案内 「アクション・リサーチ交流会2008」 in 松山

アクション・リサーチを実践している仲間が集って、交流を深めます。アクション・リサ-チの意義や醍醐味ばかりでなく、苦労話なども、楽しく語り合いましょう。授業に悩みを抱えている先生、プロとしての力量を磨きたいと思っている先生、多くの人と授業実践を交流したいと思っている先生。気の合った仲間と一緒に参加してみませんか。それでは、松山でお会いしましょう。
日 時: 2008年11月29日(土)13:00~17:00
会 場: 松山大学学生会館カルフール会議室1.2
JR松山駅から、路面電車循環線で約15分。清水町下車。
徒歩2分。大学西門から入りすぐ右手。
主 催: アクション・リサーチ・ゼミ@松山大学(ARS@MU)
共 催: アクション・リサーチの会@yokohama(ARCY)アクション・リサーチ支援ネットワーク
内 容:
13:00 開 会 愛媛県教育委員会 鈴鹿基廣
13:05 歓迎のことば 松山大学 金森 強
13:15-13:45 基調講演「なぜアクション・リサーチなのか」
松山大学 佐野正之
13:45-14:00 発表者紹介(自己紹介と発表内容の概要)
14:00-14:30 AR実践研究発表1 (進行:教室A=高橋 教室B=長崎)
教室A 「単語集を利用した意図的語彙学習に関するアクション・リサーチ」
神奈川県立大和西高等学校 小金丸 倫
教室B 「語彙指導に重点を置いたリーディング能力を伸ばすアクションリサーチ」
神奈川県立川和高等学校 栗原 清
14:30-15:00 AR実践研究発表2
教室A 「テレビ会議を通してスピーキングの力を伸ばすアクション・リサーチ」
藤沢市教育委員会 東 麻子
教室B 「パラグラフ・ライティングの力を伸ばすためのアクション・リサーチ」
神奈川県立大和西高等学校 村越 亮治
(休憩)
15:10-15:40 AR実践研究発表3
教室A 「基礎・基本の定着で英語を学ぶ楽しさを実感させるAR」
西条市立西条南中学校 武田志津
教室B 「教科書の指導とからめたタスク活動によって英語の苦手意識の克服を目指すAR」
愛媛県立松山工業高校 宮内朋子
15:40-16:05 報 告「アクション・リサーチは英語教員のどこに効いたか」
高知工科大学 長崎政浩
16:05-16:30 講 演「これからの教師教育と教員研修」
神奈川大学 高橋一幸
16:30-16:55 ミニ・シンポジウム「参加者の交流とリフレクション」(進行:金森)
気取らない座談会形式で、佐野先生のコメントを交えながら、発表者の皆さんと
今日1日の交流会を振り返ります。
16:55 閉 会 愛媛県教育委員会 池田哲也
☆懇親会 17:30~ ホテル・サンルート松山(JR松山駅から徒歩2分)
会費 5,000円
参加申込: 申込みの必要はありません。ARに興味のある方はどなたでも歓迎です。参加費は無料です。
☆開催案内ダウンロードはこちらから(pdf)。
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「英語教員のためのアクション・リサーチ支援ネットワーク 」
【主宰】佐野正之(松山大学)
☆お問い合わせ【事務局】長崎政浩(高知工科大学)
masahiro@nagasaki21.com または 0887-57-2105まで
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